にわのいろpartⅡ

2019年春からの庭の記録

5月21日のバラとにわ

明日は晴れマークが出ているけれど、その先は梅雨みたいな天気が続きそう。

ブルーマジェンタは西の奥のアーチにあり、反対側のキングはブロック塀にも沿わせているので人目につくけれど、このバラは庭木の陰になって道路側からは見えにくく、存在に気付く人はほとんどいない気がする。


アーチのてっぺん近くでやっとキングと出会えたブルーマジェンタ。

左がキング、右がブルーマジェンタの花。

境界ブロック塀のキングの下で、去年植えつけたニワナナカマドの蕾。


5月21日。ラベンダーラッシーはだいぶん少なくなってきた。


フランネルソウは中心にピンクが出るタイプなのだけど、白っぽくなるのが多い。気温のせいなのか咲き進んでこうなのか。


バラが終盤を迎えているものがほとんど。
スヴニール ドゥ ラ マルメゾン。ボーリングしないで咲いてくれた花たち。今日は残り6輪になった。(右奥はマチルダ


桜吹雪みたいに散っていくナローウォーターも、絶え間なくあとからあとから蕾が出てきて、春ほどではないが楽しめます。


ギスリーヌ ドゥ フェリゴンドもほとんどの花が白く褪色。

※N君のこと

先日、久しぶりにかつての勤め先の社長夫人、Iさんに出会った。スーパーで出会って以来一年ぶりかな。神妙なお顔で「あなたにもっと早く知らせておかなければならなかった事がある」とおっしゃる。
「じつはN君が去年の7月に亡くなったのよ、ガンだったの」
ええっ、うそでしょ!そんな・・・・N君といっても、私が会社を辞めてからもう15年になる。あの頃37歳くらいだったから・・去年だと51歳くらい?もうりっぱなおじさんになっていたのか。でも若いよ、早すぎる。
ずっと会っていない。12,3年前に幼稚園近くの用水路の狭い橋の手前で車の譲り合いの際に声をかけられたきり。それ以降その橋にかかると、N君に出会えないかな、といつも少し期待していたのよ、私。会社を訪ねて行けば会えるのにね。それほどの用事もないし、ずっと年上だけど人見知りなものだから。
性格のいい子だった。入社時はまだ22歳だったよ。小さな会社だったけど君とE君のふたりで会社を盛り上げていってくれたよね。コミュニケーション取るのが上手い子だった。おかげで会社も軌道に乗って、7人ほどの男性社員の中で30代手前にはなくてはならない人になった。仕事は特殊な仕事なので南は九州、北は東北まで1週間から3週間ほどの出張が多く、彼女を作る暇はなかったのよね(要領のいいE君は取引先の受付のこと結婚したけどね)
一人の方が気楽だと言っていたのは本音かな。デートも気を遣うのが面倒くさいと言っていたっけ。好きな事をして好きなように金を使いたいとも。子連れ離婚して後から入って来た社長の娘さん(私が会社を辞めた決定的な理由)と気が合うのじゃないかと思っていたけど、そうはならなかったようだ。でも、もう助からない病気とわかって面倒を見ていたみたい・・会社の同僚として。マンション一人暮らしで実家は和歌山で遠いし、難しいガンだったらしく名古屋の病院でしか対応してもらえなかったものだから。
悲しいね。ずっと会っていなかったのに聞いたとたん涙が出ちゃったよ。
病気が分かって7月で休職するはずだった会社を余命3ヶ月と聞いて5月に退社して身の回りを整理して、コロナの時世の中、病床のベッドで一人一人見舞いに来た兄弟や親戚の人たちにまで「もう俺には使う事がないから」と言って札束を手渡したそうだ。どんな気持ちだったんだろう。はかりしれない。本人も周りの人たちも。
ブラック企業とはいわないけど、休暇なんてまとめて取れない職種だった。日帰り仕事もあったけれど出張の時は現場まで長時間交代で運転してビジネスホテルに何日も泊まりっきり・・(私はただの事務員で普通だったけれど)帰ってきたら報告書の作成に追われる毎日。もちろん私も手伝ったよ。
趣味って何だったろうな。ためたお金でその後の人生を楽しむ事もなく逝ってしまって、救われるのは彼に家族(妻や子)がいなかった事かもしれない。
当時カラオケで歌っていた尾崎豊の曲を聞いて思い出すよ。やんわりした和歌山弁が今はなつかしい。「○○会社のヨン様」なんて、自分で言ってたの、笑える。ちょっと似てたけどね。でもヨン様より男前だよって、今なら言えるよ。
もう幼稚園の近くのあの橋で出会う事は期待できない。「ひさしぶりやね」とまた言ってほしかった。合掌・・・

私の身の回りで近頃亡くなる人が多い気がする。まだじゅうぶん人生を楽しめるはずの人たちが。